FIRE入門①資本主義のルール
ここちよ不動産・ヨースケです。
この記事を読めば、学校や会社では教えてくれない「資本主義のじょうずな捉え方」がわかります。
なにをもって「じょうず」と言っているかというと、「自分の人生に、すぐに活用できる」ということ。
つまり、難しい経済的な理論をイチから勉強するような、途方もない旅に出るのではないのです。
さらには、国や社会のあり方を問いたいのでもない。
そんな大きな主語のことは、いっさい語りません。
では、ワタシがこの記事でやりたいことが何なのか?
それは、シンプルに言うと、
・平和な日本で、特に生活に困っているわけではないが
・強いて言うなら「仕事のやりがい」がほしい
・そしてなんなら、お金や時間も増えたら嬉しい
ということを考えておられる方の、お役に立ちたいということ!
直近数年くらいのワタシ自身がそうだったので、ワタシと同年代(30~40代)の方は、このような問題意識をもっている方も多いと考えているのです。
そこでこの記事では、あなたひとり、というサイズの問題意識に対して、ワタシひとり、というサイズの体験談をもってお伝えします。
お金がほしい、時間がほしい…
学校や会社で言ったら怒られてまうけどな。
そうです!
しかし、一度きりの人生、一回自分の気持ちにマジレスすることが大事だと思いました。
↑サラリーマンから始まって、「いったんFIRE、独立できた」という自分自身の経験を踏まえて、今回の記事の内容を語ります。
マーケットと商品の交換
改めて言うことでもないですが、ワタシたちは、資本主義社会に生きています。
生まれた時から強制参加で、たぶん死ぬときまでずっとそうです。
共産主義国家じゃなくて、ほんとよかったですよね!
国が崩壊してしまうようなこともなく、革命が起きて血が流れるようなこともなく、貧しさに苦しむこともない。
これぞ、我らが日本、資本主義社会の嬉しさの真髄です。
ところが、「資本主義社会」ってどういうルールなん?ということについて、多くの人は考えることもありません。
資本主義社会って、どんな社会のことですか???
・金が物を言う世界かな
・金持ちの世界はわからん。僕はサラリーマンとして生きるだけです
・なんかあれでしょ、株式投資とか、お金膨らませたもん勝ちでしょ
そんなような答えが、よくあると思います。
ですが、ここでワタシは、自分自身もサラリーマンだったこと・そして今では(曲がりなりにも…)FIREして、会社経営をすることになったこと、
両方の経験を踏まえて、以下のように説明できます。
資本主義社会とは、巨大なマーケットの中で、商品を交換しあう社会。
それによって、関係者全員が豊かになれる社会のこと。
たとえばワタシは、サラリーマンとして10年間、メーカーに勤めていましたが、その会社は「クルマ」を資本主義マーケットに持ち込むわけです。
そして、クルマは現代社会において、(東京や大阪の大都会件を除いて)ファミリー・ライフには必須の物品ですから、みんなそれを欲しがります。
どうしてもほしいから、八百屋さんだったら野菜を売ったお金、魚屋さんだったら魚を売ったお金をガーッと何ヶ月ぶんかかき集める。
そして、そのお金を持ってディーラーに行き、クルマと交換してもらう。
取引、成立です。
お金という媒介物はありますが、これは実質、魚とか野菜をクルマと交換したわけですね。
もちろん自動車メーカー側も、クルマばっか作ってたら食べ物がないので、野菜や魚が手に入って嬉しい。
関係者全員が豊かになれる、とはそういうことです。
「お金」があることによって、たとえ野菜や魚であっても腐ったりすることもなく、いつでもどこでも自由に、「交換」ができる。
それが、資本主義社会です。
巨大なマーケットの中で、いつでも商品を交換し合える、とてつもなく便利な社会。
労働力という商品
しかし、サラリーマンをしている方は、(過去のワタシも含めて)みんな、疑問に思うはずです。
俺は、魚も野菜も、売るものなんてもってないんだけど・・・?
そうなのです。
魚屋さん、八百屋さんみたいな「個人商店」はもうあまり無くて、現代日本で「しごとをしている」ひとの99%くらいは、サラリーマンなのではないかなと思います。
だからといって、サラリーマンは、資本主義ルールの外側にいるのか・・・?
いいえ、そんなことは、ないのです。
むしろ、99%もの大多数がそこにいるのですから、資本主義社会においては、メインプレイヤーです。
では、サラリーマンは、どうやって、クルマを買うのか・・・?
それは、「お給料」からですよね。当たり前ですが。
それが、八百屋さんの野菜、魚屋さんの魚、にあたる、「交換の原資」です。
では、次に「お給料」というものは、誰から、何の対価として貰ったものなのか?
答えは、シンプルです。
雇い主(=資本家)から、自分が差し出した”労働力”の対価として貰ったもの。
ということ!
そうです。
サラリーマンであるあなた、そしてちょっと前までのワタシは、世の資本家(会社の社長や大株主)が、どれだけ欲しくても欲しくても手に入らない、優れた価値を持っています。
それは、「平日の9時17時でちゃんと会社に来て、仕事をする」という価値。
いかにお金を持っている資本家だって、体は一つしかないし、時間は24時間しかない。
だから、仕事を作る才能や財力がある資本家だって、「仕事をする」という価値を提供してくれる人のことを頼らないと、どうしようもないわけです。
だから、お金とその価値を交換してくれ、と呼びかけます。
そしてこの価値のことを、マルクス経済学では「労働力」と呼びます。
これにて、ワタシたちが生まれながらにしてもっていた「労働力」というものは、立派な商品だったんだなということが、わかりました。
資本家が労働力を買い続けられる額=給料
以上の前提を踏まえると、「資本家」の関心事項は、「労働力を過不足なく買えること」のみとなるはずです。
「まいにち元気に働いてくれること」だけが関心事項であって、それ以上でもそれ以下でもないはずです。
これは、あなたがお金を出してものを買う時のことを思い出すと、わかりやすい。
たとえばファミリー用のクルマを買いたいと思ったときに、ちょっとオーバースペックすぎるフェラーリとかランボルギーニなんていらないし、
逆に10万円とかのオンボロの軽を買ってすぐ壊れたら困る。
だから、200〜400万円くらいの、プリウスとかカローラを買うわけですね。
資本家が、”労働力”を買うときにする「お金の使い方」も全く同じです。
給料が少なすぎて、壊れてしまったら意味がない。
逆に多く払いすぎても、使いこなせないし困る。
だから、日本社会の一般的な金銭感覚も踏まえながら、明日も元気に会社に来てくれるような、妥当な金額だけを支払う。
それが、給料の額の正体です。
だからこそ、日本の平均年収というものは400万円台くらいに収まるし、その中にはぶっとんだ貧乏も、ぶっとんだお金持ちも存在しないのですね。
これでわかったと思いますが、「給料があがらない」のは、当たり前なのです。
それは、「俺はプリウスだが、フェラーリの額を払ってほしい!」と言っているようなものなのですから。
つまり。
給料に期待しているとお金は増えないし、それに、「平日会社に行ってる」のだから、時間がないということも、同時確定しています。
だったらどうすればいいのか?!?!
それは、やはりシンプルな話です。
「労働力」以外に、資本主義のマーケットにおいて、誰かが交換したいと願ってしまうような”商品”を持てばいいということになります。
その②に続きます。