FIRE入門

FIRE入門③よはくをつくる

稲葉ヨースケ

 前回の記事の続きです。

旋回の記事
FIRE入門②商品をつくる
FIRE入門②商品をつくる

 

 前回までに、“労働力の論理”の外側で、”商品”を持たなければならない、ということがわかりました。

 

 そうすることによってのみ、サラリーマンでは不足を感じていた、

・お金の面で少しくらい豊かになること

・時間の面でよゆうをもつこと

・転勤とか異動にNO!を言えるようになること

 そんなことをクリアできるようになるわけです。

 

 ワタシ自身、「いつ死んじゃうのかわからない。だったら思い出を、早め早めにつくりたい!(※)」ということを願ってきたものですから、

※参考

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「ここちよ不動産」代表・ヨースケの不動産投資(Part1)
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 この原則には、正面から向き合おう!と思ったのでした。

 

ヨースケくん
ヨースケくん

会社の同僚は誰も、そんなことやってないけど・・・

ウォン先生
ウォン先生

いや、きっとやってる人もいるよ。
ただ、同僚相手に話しても得にならない、むしろ怒られちゃうかもしれないから言ってないだけだ。

ヨースケくん
ヨースケくん

確かに、よく考えれば「副業」をおすすめする上司なんて、あり得ないですよね…。

ウォン先生
ウォン先生

そういうことだ。
だから、孤独な道のりになるはずだ。

 今回の記事を読めば、“商品”をもつためにやるべき身辺の整え方がわかります。

 結論から言うと、「よはく」を作らなきゃいけないのですね。

 

たったひとりでやるしかない

 会社の中で一緒にやれる仲間なんて、いない。

 だって、みんなしごと、忙しいじゃないですか。

 

 それに「昔の友達」を誘おうにも、そもそもこれは”生き方の価値観”の問題ですから、

 変に強引に誘ってしまうと、グダグダっとなってしまう恐れすらあるわけです。

 

友人A
友人A

俺は人生、なーーんも問題ないからさ。
仕事も楽しくて、順調よ!

友人B
友人B

副業?なんで?
ヨースケ、頭おかしくなっちゃったの?

ヨースケくん
ヨースケくん

うぐっ・・!
そうだよね、やっぱナシ!今の忘れて!

 

 ワタシが「30代とか40代でFIREして、思い出を最大化したい」と思ったのと全く同様に、

 「会社員として65歳まで立派に勤め上げて、平穏無事に生きていきたい

 という価値観は、あって然り。

 

 というか、そのほうが遥かに大多数でしょう、とわかっています。笑

 

 ところがワタシの場合、リンダ・グラットン先生の「LIFE SHIFT」という本を読んで、価値観が大きく変わってしまっていたのです。

 現代の人生100年時代は、とっくに「マルチ・ステージ」モデルであるということ。

 そのため、ひとつの仕事だけで30〜40〜50〜60歳を使う訳にはいかないな、と思っていたのですね。

 

 だからこそ、やっぱりワタシは、仕事に縛られない自分を作りたい。

 そのために、”労働力”以外の、自分の商品を作ります。

 その気持ちは、自分の中のブレない芯に、据えていきます。

 

 ただしこの時、一つ大きな大きな、問題がありました。

 

すでにワタシももう、忙しいのです。笑

  

 そんな「新しいこと」をする余裕など、もうどこにもなかった!

 

 たしかに、ちょうどコロナ禍で在宅勤務が始まったりして、飲みだとか通勤時間は削減されましたが、

 そのかわりに、早朝から深夜まで、終わらないTeams会議祭り・・・

 

 毎日毎日、22時くらいまで仕事をしていた日々を思い出します。

 そんなストレスの貯まる日々ですから、仕事後はアルコール。

 気絶するように眠って、朝起きたらすぐ、またTeams。

 

 土日は気晴らしのために遊びに行ったり、

 凝った体をほぐすためのマッサージです。

 

 週7日、24時間、どこにも「自分のための時間」なんて、ありませんでした。

 

ひとりで仕事をしているわけではないと気づく

 そんな激務の折、衝撃的なことが起きました。

 

 当時、二人三脚で仕事をしていた上司が、精神面で体調を崩し、担当業務の担当者は、ワタシたったひとりになってしまったのです・・・

 

 健康面の問題は本当、一人の人間の意志でなんとかできるものではないですから、「お気の毒に、お大事に…」と思ったと同時に、

 「で、俺の仕事、ますますヤベーやん…?」と震え上がったことを鮮明に記憶しています。

 

 まいった。

 でも、音を上げて投げ出すわけにもいかないですから、なんとか歯を食いしばって、

 まずは1週間、その次は1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月…と耐えました。

 

 そして、いつの日か、気づいたのです。

 

 健康面で業務ができなくなった上司のかわりに、色々な人がサポートしてくれたということ。

 さらには、自分自身の能力も上がって、「なんとかなってる」ということ。

 

 つまり「ヤベー」というのは実は、単なる”自分の思い込み”であって、

 結果だけを見れば、業務には実はそんなに大きな問題は起きていませんでした。

 

 ここが、大きな気づきです。

だったら、自分自身すらも、そんなに追い込まなくて良いんじゃないの?

 怒られてしまうかもしれませんが、、、

 でも、あのときはワタシ自身、心身ともに限界に近かったので、

 あれ以上追い込んでいたらほぼ確実に、連鎖的にワタシもダウンしていたでしょう。

 

 健康的に、文化的に生きていくために働いていたと思っていたのに、その真逆を行ってしまう恐れがあった。

 それは、大いに問題だったと思うのです。

 

 終わらない「ガンバリ」のループに、自分でケジメをつけることを決意しました。

 

もう、出世なんてしなくて良い

 そうして、思い至りました。

 もう、出世しなくていいや、って。笑

 

 正確に言うと、もう「あれ以上頑張ったら死んじゃってた」に近い状況まで自分を追い込んで、

 結果的に、その年の昇格でお声がかかることもなかった。

 つまりもう、それ以上何もできなかったのですよ。

 

 だったら、もう誰かに強制されない限り、

・残業なんかしない

・土日出勤なんかしない

・自己研鑽もしない

・認めてほしい気持ちも持たない

 そうやって生活するって、決めました。

 

 そうなるまでのワタシは、けっこー土日出勤をしたり、自主的に残業してはちょっと長めに「夕食で離業してます」とつけたり、

 土日にも自己研鑽として、会社のことを勉強していました。

それを一切、やめました。

 

 辞めて、問題あったかって?

 いいえ、なーんもありませんでした。

 従来、「勝手に頑張ってただけ」ですから。

 それが「ま、ふつう」くらいに戻っただけですから。

 

 そうすると、ひとつのことに気づきます。

 ワタシは「自主的な頑張り」も込みで、貰っていた給料で生活が成り立っていた。

 

 ということは、「自主的な頑張り」をやめたら、給料も時間も、だいぶ余るようになったのです。

 

 それが「よはく」です。

 

 この「よはく」を使って、”商品”を実際に作っていくことになります。

 

 次回に続く。

次の記事
FIRE入門④営業して収益化
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この記事を書いた人
稲葉ヨースケ
稲葉ヨースケ
ここちよ不動産 代表/宅地建物取引士
愛知県在住。30歳の時に副業で不動産投資を始める。33歳時点で毎月のCF(手取り)が40万円となり、生活費を上回ったので、サイドFIRE。その後、約半年の休息期間を経て、現在は「不動産屋」として奮闘中!「サラリーマン大家」の気持ちが誰よりもわかる不動産屋。
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